とても大雑把な不合格体験記

こんにちは。Etp です。この記事を読んでいる方なら私がどんな人かわかると思うので、それについての説明はしません。あ、1つだけ説明をすると、ねこが好きです。

この記事では、私が不合格を掴み取るまでにどんなことがあったのかをご紹介します。いま受験を控えている高校生の方々の参考にはならないと思いますが、時間があって読みたいと思った場合は読んでください。

 

 

2018年度

日比谷高校に入学しました。楽しい人がたくさんいる学校だなあと思いました。

大学受験のことについては何も考えていませんでしたが、それは周りの同級生のほとんども同じだったと思います。定期試験の成績は、テスト勉強を全くしていなかったので当然よくありませんでした。模試の成績は悪くないけど良いわけでもないといった感じでした。

部活をたくさんやったり、教室に7時まで残って友達と黒板におえかきしたり、SSH という学校の事業で研究室を見に行ったり専門家の話を聞いたりなど、いろんなことをして楽しく過ごしました。

 

2019年度

2年生になりました。後輩がみんなかわいくて、かわいかったです。

大学受験のことについては何も考えていませんでしたが、それは周りの同級生の半分以上も同じだったと思います。定期試験の成績は、テスト勉強を全くしていなかったので当然よくありませんでした。模試の成績は悪くないけど良いわけでもないといった感じでした。

部活をもっとたくさんやったり、友人と7時まで教室に残って何か作ったり、SSH事業で美國に行ったりして、素晴らしく楽しいことが詰まった1年でした。

受験(国立大学の前期二次試験)の一年前の日は、前日に思い立って出発した北海道旅行を楽しんでいました。

 

2020年度

3年生になりました。学校で楽しいことができる時間に終わりが見えてきてだんだん焦りを感じ始めました。

4月

学校がおやすみになりました。学校の人たちに会えないのは残念でしたが、延期された春休みを楽しみました。

5月

最悪なタイミングで高熱を出して、診療によると新型コロナウイルスに罹患した可能性はほぼないということでしたが、念の為2週間くらいずっと自室にこもっていました。家族ともFaceTimeでしか話せないのはかなり辛かったです。落ち着いたあと十数日ぶりに散歩した時は非常に感動しました。

学校ではオンライン授業が本格的に始まったので、受けたい授業を受けました。

6月

対面授業が再開しました。数ヶ月ぶりに学校の友達の顔を見て安心しました。部活も再開したので、よろこんで参加しました。定期テストの英語で0点をとりました(時間内に2科目を解くテストで、片方にほぼ手をつけなかったのでそうなりました)。今までとったことのない点数だったので、強い達成感を覚えました。

7月

梅雨がだんだんおさまってきて、暑くなり始めました。体育の授業で思いっきり動いて汗を流すのがとても気持ちよかったです。タオルと替えの下着を持ってきて授業後にシャワーを浴びるようにしていたので、その後の授業は快適に受けることができました。

8月

とにかく暑かったです。学校に遊びに行くついでに夏期講習を少し受けてみたりしましたが、どの講座も満員のような感じになっていて、みんな受験生なんだなあと思いました。志望する大学をすでに決めていた人も多かったような感じがしました。もちろん私はまだ決めていませんでした。

文化祭をオンラインで行うことになり、その準備を始めました。昨年や一昨年とは違う形式での開催だったので、わくわくしながら作業をしました。他団体の制作を手伝ったりもして、いろんな人とさらになかよくなりました。この時間がもっと続けばいいのになと思いました。

9月

まだ暑かったです。文化祭の準備をさらに進めました。

文化祭では楽しんでいる学校の人たちの写真を大量に撮りました。参加したすべての生徒を写したのではないかというくらいたくさん撮ったので、満足しました。

1日で全教科やり切る共通テストの模試が大嫌いでした。

10月

SSHの授業で行っていた研究の成果をコンテストに出すための準備でかなり忙しかったです。提出締切日数日前から当日までの早朝と授業中と放課後と夜を全て使って、なんとか提出しました。友達と分子模型を使っていろんなアミノ酸を作りました。友人がトリプトファンを見ると発作を起こすようになってしまいました。私は耳のEQがおかしくなって、低音が全然聞こえなくなる代わりに高音がうるさく聞こえるようになりました。声の大きい先生の授業と地下鉄での通学が苦痛で仕方なかったですが、おいしゃさんが大量にくれたおいしくない液体のお薬と耳栓のおかげで少しはよくなった気がします。

11月

今年度2回目の発熱を起こしました。受験勉強を全くしていないくせに、受験に対する緊張感だけは無駄に感じて体が弱くなっていたのかなと、今振り返ってみると思います。

2月中旬に結果が出るから受験後ゆっくりできる期間が増えるという理由で東京工業大学の総合型選抜を受験することにしました。提出資料とのたたかいがまたはじまりました。

12月

学校の通常授業が終わってしまい、とても寂しくなりました。自分で講座を選択して受ける方式に変わり、いよいよ受験なんだなと感じましたが、この時期まで家で勉強することはほとんどありませんでした。東京工業大学の出願はギリギリでしたがなんとか完了しました。1限をほとんど取らなかったのでゆっくり寝られるのが最高でした。

1月前半

共通テストが2週間後になって、少し心配になったので勉強を始めました。利用した問題集では案外点数が取れず、少し不安がありました。

共通テスト

周りに知ってる人がたくさんいて、隣も友人だったので学校で受ける模試のようでした。1月なのに18℃ほどの気温で、ぽかぽかしていて休み時間の散歩が気持ちよかったです。

10月あたりに受けた模試では8割程度だったのであまり期待していなかったのですが、自己採点で9割を超えたのでなんだこれとなりました。いろいろな人に驚かれました。受験前に少し心配していたぶん、このタイミングで少し気が抜けてしまったかもしれません。

いろんな大学の中で、私がキャンパスに行って研究室を見たりイベントに参加したりしたことがあるのが東京大学しかなかったので、そこに出願することにしました。

1月後半

講座をとっていない空き時間に散歩をたくさんしました。この時点までの学校生活で、いちばん時間に余裕がありました。快晴の日が多く、気持ちいい写真をたくさん撮ることができました。国会議事堂が見えるベンチがあって、そこでお昼ごはんを食べるのが毎日の楽しみでした。冬のお弁当には保温機能のあるジャーに入れたスープが最適です。

2月前半

学校の講座も終わり、家での引きこもり生活がはじまりました。少し前から過去問を解き始めていて、英作文を必ずねこに絡めて書くのが楽しみでした。

軽い気持ちで受けた東京工業大学の受験結果は、門前払いのような形でした。出願の際は早く受験を終わらせたい一心でしたが、この頃には意外と時間が過ぎるのが早いことに気づき、国立の前期まで待ってもいいなと思うようになっていました。そのため、国立前期の受験資格が得られたという点では少しほっとしました(総合型選抜の合格者は一般試験を受けられない)。しかし、提出資料の作成に協力していただいた人には申し訳ない気持ちになりました。

私立大学受験

受験を考えていた私立大学1校について、共通テスト利用の入試方式もありましたが、合格しても行くかわからなかったので、入試の練習のためと思って一般入試方式で出願をしました。しかし、試験会場が遠くて疲れそうだったので前日に受験を取りやめました。

早稲田大学にも出願していて、そちらは受験しました。鉄道の遅延で試験時間が後ろ倒しになったので、開始時刻が来るまで高校の友達と話していました。昼休みも集まってわいわいおはなしをしました。その時間が一番楽しかったです。友達と話している時間の方が長かったような気がします。試験についてはあまりよく覚えていませんが、数学の試験時間を30分勘違いしていて全然解き終わらなかったので、これはだめだなと思いました。

東京大学の受験

隣の席に Twitter の FF の人がいたので、楽しく受験できました。休み時間がかなり長く取られていて、良い天気のもとたくさん散歩をしました。池に鯉がいたのでその写真を撮ったり、滝のそばに腰掛けて水の流れを眺めたりしました。1日に2教科しかない試験スケジュールは非常に良心的だと思います。試験の終わりに入学手続案内が配布されて、合格しなかったらこれは使わないのか…と微妙な気持ちになったのを覚えています。帰りも友達とわいわいお散歩しながら帰ったりして、全体的に楽しい2日間でした。

受験後

早稲田大学はなぜか合格していました。入学手続きについては迷いましたが、その大学についてよく知らなかったため東京大学がだめだったとしても入学することはないだろうと思い、そのような適当な気持ちのまま親に大きなお金を納めてもらうのは申し訳なかったので辞退しました。どうでもいい話ですが、早稲田大学職員を名乗る男性から不審な電話着信とメールがあり、新手の詐欺かと思いましたがどうやら違いました。

受験が終わったので学校で毎日のように遊びました。卒業まで2週間ほどしかありませんでしたが、至福の時間でした。ミニ四駆を走らせたりして楽しみました。この時間があと1年くらい続いてくれないかなーと思いましたが、2週間は光速で過ぎ去って、卒業生と職員しかいない卒業式会場の出口をあっけなく通りました。

合格発表

待ち遠しかったですが、とても緊張するというわけではなかったです。12:03くらいにリンクが有効になったのでそれをクリックしたところ、コンピュータには私の受験番号が記載されていないPDFがダウンロードされました。

私はすんなり不合格を受け入れました。受験勉強というものをまともに行っていなかったので、当然の結果だと思いました。しかしながら、応援してくださっていた多くの人に受験結果を報告するのはやはり辛いというか、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。応援されるのはうれしかったですし励みになったので、どうせならもう少しだけ点数をとっていい結果を伝えたかったなと思いました。

翌日になって、得点開示結果が私のもとに届きました。あと6点あれば合格していました。英語で少なくとも8点分ほどのケアレスミスをしていたことを思い出し、私は呆れました。まあギリギリで合格しても意味ないとは思うのですが、うーんという気持ちでした。

こうして、わたしは4月からどこにも行くところがないので、1年間無職となることが決まりました。大学には行きたいので、来年再度受験することにしています。2回受験するというのは全く想定していなかったことですが、そうするしかなくなったのでそうすることになりました。

 

まとめ

高3の12月あたりまで受験のことをほぼ何も考えずのほほーんと過ごしていたら、合格しませんでした。高校での出来事は本当に楽しかったですし、特に2020年度についてはコロナでいろいろなことが崩れた年だった割にはおもしろいことをかなりたくさんできたので全く後悔していません。まあこれで合格していたらなお良かったかもしれませんが、そこまで都合よく生きることができたら私は人生や世の中を軽く見るようになっていたでしょうので、このタイミングで重大な停滞が発生したことは私を戒めるいい機会になったと思います。

不合格体験記というタイトルでしたが、受験のことをそこまで書かなかったのでそれにそぐわないような感じになってしまいました。とにかく、こんなに長い文章を読んでくださってどうもありがとうございました。